(本記事は2022/04/17に書かれた日記を一部改変したものです)
ちょうど1年ほど前、私が引越して間もない頃、平日の昼間にインターホンが鳴った。
モニター越しに見てみると見知らぬ人が立っており、誰なのか聞いても全然名乗らず
「住所変更の確認です」
としか言わない。
たぶんNHKだろうなと思いつつ開けてみると、案の定NHKであった。それならそうと言えば良いのだ。
それにしても、彼らはどうやって私の引越し先を知るのであろうか。その情報網を駆使して、私の住民票の手続きや免許の住所変更なんかも勝手にやってくれれば良いのに。
「引越しされましたよね?住所変更の手続きをお願いします」
読者の方々には勘違いしてほしくないのだが、この文章は巷によくある「NHK撃退もの」ではない。何を隠そう、私はすでにNHKの受信料を支払っているのである。この集金の人が「契約のお願い」ではなく「住所変更のお願い」をしに来たのが何よりの証拠だ。
私は、労働には相応の対価が支払われるべきだと思っている。「プロフェッショナル」に代表されるNHKの密着取材型ドキュメンタリーを私は興味深く視聴していたし、たまに「NHKスペシャル」で取り上げられる物理や数学の話も楽しみにしていた。
そんな訳で、普段NHKを見ないのに契約を迫られている方々は、正直、大変気の毒だと思うが、少なくとも私自身は受信料を支払うべき人間の1人だと思っていた。
「それでは最後に、テレビが映るかの確認をお願いします」
そつなく手続きを進めた私は最終確認に入っていた。
「あー、自分テレビ持ってないんですよ」
「え、あ、じゃあスマホとかは」
「iPhoneなので見れないですね」
「え?」
「え?」
「え、なんでNHK契約してるんですか?」
まさかNHKの人からこんなことを言われるとは思ってもいなかったが、集金の人もまさか終盤になってNHK撃退の常套句である「テレビ持ってない」を使われるとは思っていなかったのだろう。
困惑する相手に私は丁寧に説明を行った。
以前はテレビが映るPCを持っていたが少し前に壊れてしまったこと。
そもそも、そのPCも「繋げばテレビが見られる」というだけで、普段は「NHKプラス」というインターネット配信サービスを利用してNHKの番組を楽しんでいたこと。
その配信サービスを利用するにはNHKの契約が必要だったこと。
「あの...、大変申し上げにくいのですが...」
黙って私の説明を聞いていた集金の人は、申し訳なさそうに口を開いた。
「テレビを持っていない方に対して、NHKの契約を結ぶことはできないんです。解約の手続きをお願いします」
「え、」
「申し訳ありません...」
NHKの人から解約を提案されることなんてあるのか
「でも、NHKプラスはNHKの契約者じゃないと見ることはできないんですよね?」
「はい」
「じゃあ私は、どうやってNHKプラスを見たら良いんですか?」
「...たしか、オリンピック期間中であれば契約者でなくても見られたかと...」
「オリンピック期間が終わったらどうなるんですか?」
「一応見ることは出来たと思います」
「でもそれは本当はダメなんですよね?」
「はい...」
「すいません、テレビを持っていない人がNHKプラスを見るための正式な方法を教えてくれませんか?」
「それは...」
それからはしばらく不毛な会話が続いた。
契約を行いたい私 vs 解約させたいNHKである。
NHKの契約を行うことがこんなに大変なことだったとは。
「分かりました...」
話し合いが、同じ箇所を3順目したころ、集金の人が切り出した。
「私の方から住所変更を行うことはできません。ただ、お客様自身が、住所変更手続きを行うことについては、我々は関知しません」
そう言うと、集金の人は住所変更手続きのURLが書かれた紙を手渡してきた。
私が勝手に住所変更する分には問題ないということである。
彼も面倒な客に当たったと思ったことだろう。私も申し訳ない気持ちはあったが、今後NHKが見られるかどうかの瀬戸際であったのだ。これも仕方がないというもの。
集金の人が帰った後、私はさっそく住所変更を行おうと思い、スマホで住所変更手続きサイトにアクセスした。しかしいざ入力するとなると、悪いことをしているような気持ちになり手が止まった。これは虚偽の申告になってしまうのではないか?だいたい、何故こんなグレーなことをしなければならないのだろう。
そう思い始めると気が引けてしまい、私は何となく住所変更を先延ばしにしてしまった。
そしてそれから1年後の先月頃、再びNHKの人がやってきた。
例のごとく名乗らずに押し掛けてくるその姿は、1年前の悪夢を呼び起こした。
しかし今回違ったのは、何故か「契約のお願い」をされたことであった。
私の口座を見ると、先月もばっちりNHKからの引き落としがあり、私は住所変更をしていないだけの契約者で間違いなかった。
「契約をお願いします」
1年前とは別の人であった。
「いや、実はテレビがないんですが、契約はしていて———」
「あの~、普段NHKを見てないのは分かるんですが、受信料の支払いは義務なんです」
「いや、そうではなくてですね———」
私は仕方がないので、1年前と同様の説明を行おうとした。
しかし、私の第一声の「テレビがない」が問題だったのかもしれない。
私が何を言っても
「見てないのは分かるんですが、受信料の支払いは義務なんです」
としか言わない。
一体何が彼をこんなにしてしまったのだろうか。
私は機械と話しているような気味の悪さを覚え、最終的に「テレビを持っていない」で押し通し、無理やり帰してしまった。
しかし、今後もこんな目に遭うのはごめんである。
私はついに、NHKを解約する決心をした。
NHKの解約には専用の用紙が必要であり、それは、NHKに電話をして郵送してもらう必要がある。
「NHKの解約をしたいのですが」
「承知いたしました。理由をお聞かせ願えますか?」
私は数日前のトラウマが蘇ったが、改めてその経緯を説明した。
「ありがとうございます。それでは用紙を送付いたしますね」
話が通じた。
顔も知らない相手であったが、受話器の向こうには確かに人間がいたのである。
私はもしかしたらと思い、一縷の希望にかけて改めて聞いてみた。
「あの、確認なのですが、テレビを持っていない人間がNHKを契約する方法はないのでしょうか」
「申し訳ございません。そのような方法はございません」
「...そうですか、分かりました。ありがとうございました...」
こうして私のNHKライフは幕を閉じた。
ちょうど一週間前に、abc予想に関するNHKスペシャルがNHKプラスで配信されたが、私にはそれを見る術がない。NHKの受信料支払いについては、何かとネガティブなイメージがつきものであるが、私のように払いたくても払えない人間がいるということをどうか知っておいて欲しい。