PCで苔を育てる人

自作シミュレーションゲームPraparatを作っています。 人工生命をシミュレーションするゲームです。https://www.nicovideo.jp/watch/sm41192001

親にして欲しかったこと

私は「何不自由なく育ててもらった」と言って良い人間の一人であると思う。両親は私に色んな体験をさせようと努めてくれたし、私の願いも可能な範囲において叶えてくれた。やりたいことを尊重し支えてくれたし、私の将来について何かを強制することもなく、しかしそれでも、間違ったことをしたときにはちゃんと叱ってくれた。

そんなわけで、私は両親に大変感謝しているが、しかし何も思うところがないわけではない。直截に言えば、「本当はこうして欲しかった」と思うことがいくつかあるのである。小さなものだと、例えば、父親は私を車でどこかに連れて行くとき、必ずと言って良いほど寄り道をしていた。何もない日は良かったが、友達と約束をしていた日や見たいテレビがあったときには予定が狂うので正直やめて欲しいと思っていた。

そういった取るに足らない些細なものがいくつかあるだけなのだが、その最たるものが「自転車の乗り方を教えて欲しかった」というものである。

いや、この表現はあまり正確ではないかもしれない。誤解のないように付け加えておくと、私の父親は自転車の乗り方を教えてくれてはいた。そしてその教え方は別に変わったものでもなく、ごくごく一般的なものだった。まだ幼かった私を、休日に広い公園に連れていき、補助輪を外した自転車を手で支えながら練習をしてくれていたのである。

しかし、私の父は非常に厳しく「転けると思うから転けるんだ」というわけのわからない指導しかしてくれなかった。私は、転んだときの痛さも相まって、どんどん自転車が嫌いになっていった。

当時私の自転車は庭先にポツンと置かれていたが、できるだけそれが目に入らないようにしていたし、日常会話で「自転車」という単語が出ることを恐れていた。それで思い出したように「そうだ、自転車の練習をしないとな」と言われるのが怖かったのである。

私は「大人の乗る自動車だって四輪なのだから、補助輪の付いた自転車だって何も恥ずかしくはない」という持論を展開し、補助輪が笑われない時代の到来を切に願った。そして、それが叶いそうにないことが分かると、今度は自転車に乗らずに生きていく方法を模索した。生きていく上で本当に自転車は必要なのかと、自転車に乗れないことで失うものを数え始めたのである。ドラマや映画では、少年達が自転車で冒険に出かけたり、恋人と二人乗りをして青春を謳歌している。少なくともそのような経験は諦めなければならないなと覚悟を決めていた。

しかし、そんな生活を続けていると、ある日急に自転車に乗れるようになった。「一度乗れたらずっと乗れる」とは良く言うが、昨日まで乗れなかったのは何だったのかと思うあの感覚をついに体験したのである。

そういった意味では、父親の教え方は何も間違っていなかった。何も間違ってはいなかったが、そう、教え方には不満があった。改めて私が父にして欲しかったことを正確に言い直そう。

私は「ジャイロ効果を教えて欲しかった」のである。

この記事のタイトルから何かエモい話を期待していた人には申し訳ないが、私の言いたかったことはこれである。私はジャイロ効果を教えて欲しかったのだ。

ジャイロ効果とは、回転している物体の軸に力を加えた時に、加えた力の向きとは垂直の方向に軸が移動する現象のことである。より簡単に「回転している物体が姿勢を保とうとする現象」と言われたりもする。コマが倒れずにいるのもこの効果のおかげである。このジャイロ効果についてはネット上に面白い実験動画がいくらでもあがっているので、もし見たことがなければ見てみてほしい。直感に反する奇妙な動きが楽しめるはずだ。

さて、話を戻して。何故私がこのジャイロ効果を教えて欲しかったのかと言うと、これが自転車に乗れない子供を騙すのに丁度良い代物だからである。

そもそも自転車が何故倒れないのかと言うと、実はこれが大変に奥深い問題なのだ。私の知る限り一番良くまとまっている論文は、2011年にScienceから出た「A Bicycle Can Be Self-Stable Without Gyroscopic or Caster Effects」という論文である*1。残念ながらこの論文は無料で読むことはできないが、Supplementary Material (論文に付いている補足資料) はただで読めるので、興味があれば見てみて欲しい*2。自転車の安定性に関する方程式が丁寧に解説されている。これによれば、自転車の安定性というのは、ジャイロ効果やステア角、自転車の質量分布などによって複合的に決定されるものであり、そのどれか1つを持ってきて「これのおかげで安定しています」と言えるものではない。したがって、こんな説明を当時小学生だった私にしても理解できるわけがないので、私は単に「自転車はジャイロ効果のおかげで倒れないんだよ」と言って欲しかったのである*3

「いやいや、ジャイロ効果だって分からんだろ」

と思う人もいるかもしれないが、ジャイロ効果については、いくらでも体感する方法があるのである。例えば、コマが倒れないのは紛れもなくジャイロ効果であるので、子供でも分かりやすい。他にも、地球ゴマのようなおもちゃを用意して、色んな実験を見せてあげることもできる。地球ゴマが重力に逆らったように奇妙なバランスをとる様を見せれば、ジャイロ効果の威力を嫌でも実感できるだろう。

そしてここからが重要な点であるが、ジャイロ効果は回転が速ければ速いほど効果が大きくなるのである。

自転車に乗れなかった当時の私は、自転車が倒れない仕組みを根本的に勘違いしており、あれは人間の驚異的なバランス感覚によって成立しているのだと思いこんでいた。そのため、まずは前進しない状態で倒れない練習をするべきだと思っており、それができるようになってから徐々にスピードを上げていくべきだと考えていた。しかし、これは完全に間違いであった。自転車は、その構造上ひとりでにバランスをとる仕組みになっており、そしてそれは自転車が前進することで初めて機能するのである。

これについては、先程紹介した論文の著者がTEDで話している動画が分かりやすい。そのリンクを貼っておくことにする。

www.youtube.com

 

しかしだ、そんな仕組みを説明したところで、やはり当時の私が理解できるはずがない。そこでジャイロ効果による嘘の説明である。

先程話したように、ジャイロ効果は回転の速度が速いほど大きな効果を持つ。これは回り始めの勢いのあるコマが安定しているのに対して、時間が経って速度の落ちてきたコマがどんどん不安定になっていくことからも分かりやすい。この現象を目の当たりにすることによって、小学生でも「なるほど、速く漕げば漕ぐほど自転車は安定するんだな!」と勘違いできるのである。

私がもっと早くこの勘違いをしていれば、前進しない自転車に跨ってバランスをとるようなアホみたいな練習はせずに済んだし、いざ走り出すときもジャイロ効果に身を任せるつもりで思いっきりペダルを漕げたはずである。そしてそれは、結果的には自転車の自己安定機能を働かせることに繋がり、自転車にもっと早く乗れるようになったはずなのだ。

 

私は年末に帰省したタイミングで、この積年の思いを父親にぶつけてみた。ジャイロ効果を教えてくれれば、もっと早く自転車に乗れたはずだと。

車を運転していた父親は、助手席の私の方を見ることなく「そうだな」とだけ言って笑っていた。

久々にドライブする地元には、知らない建物が増えていた。

「ちょっとあそこに寄ってみるか」

私の父親は、いつもかならず寄り道をする。

思えば、自転車に乗れるようになった私は一人でどこへでも遊びに行くようになってしまい、休日に父親と公園で遊ぶことも少なくなっていた。

自転車の乗り方を教える父親が、上達の近道を秘密にしていたのは、そんな日が来てしまうまでに、少しでも寄り道をしておきたかったからなのかもしれない。

 

 

*1:論文のリンクはこちら

*2:上のリンク先からダウンロードできるkooijman-som-rev1.pdfというファイル。ちなみに私は全然理解できていない

*3:ちなみにさっきの論文は「ジャイロ効果を無くしても自転車を安定させることはできるよ」と言っている論文なので混乱するかも知れないが、一般的な自転車の安定性にジャイロ効果が寄与していることを否定している訳ではないので安心して欲しい。