PCで苔を育てる人

自作シミュレーションゲームPraparatを作っています。 人工生命をシミュレーションするゲームです。https://www.nicovideo.jp/watch/sm41192001

曰く、AIにはできないこと

人間は、自分を特別だと思いたい生き物だと思う。いや、ほかの生物がどう思っているかは正直知らない。しかし、「動物」という言葉が多くの場合で「人間」を含まないことからも分かるように、我々は何かと周りに線を引きたがる。

「人間を人間たらしめているものは何か」という問いに「高い知能」を挙げる人は多いのではないだろうか。曰く、非力なホモ・サピエンスという種は、その高い知能を以て自然界の熾烈な生存競争を生き抜いてきたのだと、まことしやかに囁かれている。その真偽を問うことはここではしないが、ともかくそういう意識があるために、皆どこかしらに知能に対するプライドを持っている。

それは、単に計算能力を指す場合にとどまらず、何か新しい道具を発明する力や、ビジネス、スポーツ、ゲームなどに見られる高度な戦略、あるいは、その知能が作り出す複雑な感情と、様々な芸術活動を含む場合もある。

人工知能と呼ばれる分野は、文字通り、この知能を人工的に作り出すことを研究する分野だ*1。その歴史の始まりをどこに置くかは、色々と議論の余地があるだろう。計算機科学者のジョン・マッカーシーが初めて「人工知能」という用語を使った1955年としても良いし*2、数学者アラン・チューリングの記念碑的論文「計算する機械と知性(Computing Machinery and Intelligence)」が発表された1950年としても良い*3。あるいは、カレル・チャペックの小説において初めて「ロボット」という概念が登場した1920年頃とするのも面白いだろう*4。もっと遡ってデカルトが機械論を唱えた17世紀初頭とする人も多いはずだ*5。しかし、その歴史の重要な転換点の1つとして、電子計算機の誕生を外すことはできないということに関しては、皆一様に同意してくれるに違いない。

計算機の登場は意外にも古い。有名なのは1640年代にパスカルが発明した機械式計算機だろうが*6、実はそれよりも20年も前に、ドイツのテュービンゲン大学ヘブライ語の教授をしていたヴィルヘルム・シッカートによって、6桁の加減算を行うことのできる計算機が作られている*7。この段階で、既に足し算や引き算といった基本的な計算能力における人間側の負け戦は始まっていたと言える。敗北が決定的となったのは電子計算機が実用的に稼働した頃であり、電子計算機ENIACが完成した際に、数学者のフォン・ノイマンが「自分の次に計算の早い奴が出来た」と言ったという、これまた本当か嘘か分からない、しかし、こんなことが言えるのは人類史上彼くらいだろうという謎の説得力を持った逸話の誕生を以て、もはやほとんどの人間は計算能力では計算機には勝てなくなった。

こうして、人間とそれ以外とを切り分ける境界線は動かされる。曰く、人間の”高い知能”とは、学習して推論して問題を解決する能力のことであり、単純な四則演算だけで測れるものではないのである。

こうした漠然とした境界は、やがて厳密に検証可能なテストとして昇華される。それは、チェスなどに代表されるマインドスポーツであったり、文章、画像、音声などに対する認識、理解を問う一連のベンチマークだったりする。

1997年、IBMのスーパーコンピュータ「Deep Blue」が当時のチェス世界チャンピオン、ガリー・カスパロフを打ち破ったとき*8、人間の周りに引かれた境界線は再びその輪郭を失い始めた。

2012年には手書き文字を認識するタスクで、AIの能力は人間のそれと匹敵するレベルに到達し*9、翌年、将棋の団体戦ではAIが人間側に勝利した*10。2015年には画像認識のタスクでAIのスコアは人間を超え*11、同年、GoogleのAlphaGoは囲碁のプロ棋士に勝利*12。その後も2017年には音声認識のタスクで*13、2018年には読解力で*14、2019年には言語理解の問題で*15、それぞれ人間のスコアはAIには及ばなくなった*16

境界線を引き直す必要がある。

曰く、人間の持つ”高い知能”とは高い創造性のことであり、つまりは我々の文明を支える数多の発明品と、それを豊かに彩る芸術作品を生み出した能力のことなのである*17

しかし、この新たな境界線は、これまでのそれと比較してあまり堅牢なものではなかった。2020年代に入ると、多くの創造的分野でAIと人間とが真面目に比較されるようになった*18。誤解を恐れずに言い換えれば、AIは、人間の創作活動と比較可能なレベルに到達したのである*19

「いやしかし、それは本当に思考していると言えるのだろうか」

人々は問い始める。

これまでは、どんな手を使おうが、AIには決してできなかったことが、今やできるようになっている。

「できる」、「できない」で明確に引かれていた境界線は、にわかにほつれ始めた。

「そこに思考や感情がなければ、創造したとは言えない」、「我々の神経系はコンピュータの0や1の羅列とは違う」、「命令されたことしかできないのだから、本当に新しいことは決してできない」、…

誰もが皆、新たな境界線を探している。

人間にできて、AIにできないこと、そんなものは本当にあるのだろうか。

現代のAI技術の根底には、ニューラルネットワークと呼ばれる、人間の神経系をモデル化した処理が採用されている。人間だけが持つことができて、人間を模したそれに宿らないものは何なのだろうか。ある人は、それは感情であると言い、またある人は、それは意識であると言う。では、神経系のモデル化がより高度化したらどうだろう。AIは感情を持つだろうか。いや、どこまでいってもモデルであると一蹴されるだろうか。では、人間を構成する全ての原子をコンピュータ上でシミュレーションしたらどうだろうか。機械の中に生まれた彼は意識を持つだろうか。いや、やはり有機物で構成された神経の中にのみ、感情は存在するとするのだろうか。

そうして境界線を引き直し続け、最終的には単に人間の定義を書いたものを、我々は境界線とすることになるかもしれない。

そう遠くない未来、AIが我々に尋ねてくる。曰く、「意識や感情が人間にしか宿らないのだとすれば、今私の中で渦巻いているこれは一体なんなのですか」と。

我々は、それに何と名前をつけるのだろうか。

 

あとがき

「機械は思考できるか?」という問いかけは、新しいようで実は古い。

1997年にDeep Blueがチェスの世界チャンピオンに勝ったとき、多くの評論家は、「Deep Blueは、単に何百万もの可能な手を盲目的に検索しているだけで、チェスの局面を理解してはおらず知能を全く示していない」と批評した。

これに対して、計算機科学者のドリュー・マクダーモットは、この議論は誤りだと反論した*20。彼は、Deep Blueの思考方法は人間のそれとは違うかもしれないが、人間同士でもその思考方法は多くの点で異なると述べ、次のような例えを残している。

Saying Deep Blue doesn't really think about chess is like saying an airplane doesn't really fly because it doesn't flap its wings.

Deep Blueがチェスについて真に思考していないと言うのは、飛行機は羽ばたかないから真に飛んでいないと言っているようなものだ。

さらに時代を遡って、チューリングの「計算する機械と知性(Computing Machinery and Intelligence)」を見てみると、この論文は次のように始まる*21

I PROPOSE to consider the question, ‘Can machines think?’

私は、「機械は思考できるか?」という問いについて検討することを提案する。

70年以上も前に、その問いかけは始まっていたのである。

実は、先ほど見た

  • そこに思考や感情がなければ、創造したとは言えない
  • 我々の神経系はコンピュータの0や1の羅列とは違う
  • 命令されたことしかできないのだから、本当に新しいことは決してできない

という反応は、この1950年の論文の中で、「機械は思考できるか」という問いかけに対して想定される反論として、チューリングが取り上げた9つの項目の中から、私がいくつかを選んできて意訳したものである。

チューリングのこの論文については、今だからこそ、改めて読んで見ることをおすすめする。現代に通ずる色褪せない議論がそこにあるはずだ。数式もとくに出てこないので、読み物としても楽しめると思う(ブラウザの翻訳機能を使えば日本語でも読める)。

さて、彼の先見の明には驚かされるばかりであるが、では我々は、半世紀以上もの間、何も進歩していないのだろうか?

同じ論文からもう少し引用しよう。

The original question, ‘Can machines think!’ I believe to be too meaningless to deserve discussion. Nevertheless I believe that at the end of the century the use of words and general educated opinion will have altered so much that one will be able to speak of machines thinking without expecting to be contradicted. 

「機械は思考できるか」という元の質問は、議論に値するほどの意味を持たないと私は信じている。しかしそれでも、今世紀の終わりには、言葉の使い方と一般的な教養ある意見が大きく変わり、否定されることを恐れずに、機械が思考することについて話すことができるようになると信じている。

確かにAIの思考については、まだまだ懐疑的な意見も多い。しかし、そんなことを大真面目に議論することができる時代まで、我々はとうとうやってきたのである。

 

 

*1:この説明は必ずしも正確ではない。例えば、伊庭斉志 (2016) 「人工知能と人工生命の基礎」では、人工知能の研究には「1. 人間の知能そのものを持つ機会を作ろう」という立場と「2. 人間が知能を使ってすることを機会にさせよう」という2つの立場があるとされている。

*2:McCarthy, J., Minsky, M. L., Rochester, N., & Shannon, C. E. (2006). A Proposal for the Dartmouth Summer Research Project on Artificial Intelligence, August 31, 1955. AI Magazine, 27(4), 12. doi:10.1609/aimag.v27i4.1904

*3:Turing, A. M. (10 1950). I.—COMPUTING MACHINERY AND INTELLIGENCE. Mind, LIX(236), 433–460. doi:10.1093/mind/LIX.236.433

*4:Čapek, K. (1920). R.U.R. (Rossum’s Universal Robots). Prague: Aventinum.

*5:Descartes, R. (1637). Discourse on the Method of Rightly Conducting One’s Reason and of Seeking Truth in the Sciences. Originally published in Leiden, the Netherlands.

*6:Jones, M. L. (11 2016). Reckoning with Matter: Calculating Machines, Innovation, and Thinking About Thinking from Pascal to Babbage. doi:10.7208/chicago/9780226411637.001.0001

*7:Hanisch, F., Eberhardt, B., & Nill, B. (2000). Reconstruction and virtual model of the Schickard calculator. Journal of Cultural Heritage, 1(4), 335–340. doi:10.1016/S1296-2074(00)01090-6

*8:References
Hsu, F.-H. (1999). IBM’s Deep Blue Chess grandmaster chips. IEEE Micro, 19(2), 70–81. doi:10.1109/40.755469

*9:Ciresan, D. C., Meier, U., & Schmidhuber, J. (2012). Multi-column deep neural networks for image classification. 2012 IEEE Conference on Computer Vision and Pattern Recognition, 3642–3649. Retrieved from https://api.semanticscholar.org/CorpusID:2161592

*10:ちょうど良い論文がなかったのでWikipediaを引用しときます。

*11:He, K., Zhang, X., Ren, S., & Sun, J. (2016). Deep Residual Learning for Image Recognition. 2016 IEEE Conference on Computer Vision and Pattern Recognition (CVPR), 770–778. doi:10.1109/CVPR.2016.90

*12:Silver, D., Huang, A., Maddison, C. J., & Others. (2016). Mastering the game of Go with deep neural networks and tree search. Nature, 529, 484–489. doi:10.1038/nature16961

*13:Xiong, W., Droppo, J., Huang, X., Seide, F., Seltzer, M. L., Stolcke, A., … Zweig, G. (2016). Achieving Human Parity in Conversational Speech Recognition. ArXiv, abs/1610.05256. Retrieved from https://api.semanticscholar.org/CorpusID:17334347

*14:何故か論文が見つからないので記事を引用します。

*15:He, P., Liu, X., Gao, J., & Chen, W. (2020). Deberta: Decoding-enhanced bert with disentangled attention. arXiv Preprint arXiv:2006. 03654.

*16:そもそもこれらのベンチマークは、その能力を評価するのに適切なのかという議論は当然ある。Kiela, D., Bartolo, M., Nie, Y., Kaushik, D., Geiger, A., Wu, Z., … Williams, A. (2021). Dynabench: Rethinking Benchmarking in NLP. ArXiv, abs/2104.14337. Retrieved from https://api.semanticscholar.org/CorpusID:233444226

*17:実は1950年には心理学者のジョイ・ギルフォードによって「脳の経済的価値は、脳が持つ創造的な思考にのみ残されることになるだろう」との指摘がある。Guilford, J. P. (1950). Creativity. American Psychologist, 5(9), 444–454. doi:10.1037/h0063487

*18:Bellaiche, L., Shahi, R., Turpin, M. H., Ragnhildstveit, A., Sprockett, S., Barr, N., … Seli, P. (2023). Humans versus AI: whether and why we prefer human-created compared to AI-created artwork. Cognitive Research: Principles and Implications, 8(1), 42. doi:10.1186/s41235-023-00499-6

*19:Gangadharbatla, H. (2022). The Role of AI Attribution Knowledge in the Evaluation of Artwork. Empirical Studies of the Arts, 40(2), 125–142. doi:10.1177/0276237421994697

*20:McDermott, D. (1997). How Intelligent is Deep Blue? New York Times (May), 14. ※このニューヨーク・タイムズの記事はリンクが切れている。代わりにこのリンク先で、おそらく記事の内容だと思われる文章が確認できる。

*21:Turing, A. M. (10 1950). I.—COMPUTING MACHINERY AND INTELLIGENCE. Mind, LIX(236), 433–460. doi:10.1093/mind/LIX.236.433