PCで苔を育てる人

自作シミュレーションゲームPraparatを作っています。 人工生命をシミュレーションするゲームです。https://www.nicovideo.jp/watch/sm41192001

コーヒーはどのくらいの時間で冷めるのか

日常生活において、大学のときの専攻を聞かれる場面というのはあまり無い気がするが、それでも年に何回かはそういう話題になる。

私の専攻は物理だったのだが、それを話した際によく聞かれるのが

「物理ってどんなことするんですか?」

という質問である*1

そこで、物理でやっていることをイメージしてもらうために、今日は1つ、目の前のホットコーヒーがどのくらいの時間で冷めるかを考えてみよう。

「え!?そんなことが分かるんですか?」

と思われるかもしれないが、いや、分からない。分からないから物理らしく考えてみようというわけだ。

コーヒーがどのくらいで冷めるのかを考えるときに、色々な切り口が考えられるが、今回は現象論的に見ていくことにする。途中から難しくなるかもしれないが、別に理解してもらう必要はない。何となく雰囲気を感じ取ってもらえれば良い。

さて、そもそも何でホットコーヒーが冷めていくのかと言えば、それは部屋の温度がコーヒーよりも低いからだろう。もしも室温がコーヒーよりも高ければ、コーヒーの温度は時間経過とともに上昇するはずだ。夏場に冷たい缶コーヒーを買ったところで知り合いに話しかけられてしまい、ついつい話に夢中になっていると、コーヒーがすっかりぬるくなってしまったという経験がある人もいるのではないだろうか。

というわけで、コーヒーの温度変化というのは、周りの気温に左右されると考えて良さそうだ。

さらに言えば、周りが寒ければ寒いほど、コーヒーが早く冷めていくというのも、我々は経験的に知っている。

そこでここでは、このコーヒーの温度と室温の差を"冷めやすさ"として定義してみよう。

 \displaystyle 冷めやすさ = (コーヒーの温度)-(室温)

例えば、今80℃のコーヒーがあるとして、それが気温30℃の部屋に置かれた場合の冷めやすさは50であり、気温10℃の部屋に置かれた場合には冷めやすさ70となる。このとき、気温10℃の部屋の方が冷めやすさが大きい、つまりは冷めやすいということになる。

いやしかし、こんなあたりまえのことが分かってもあまり面白くないと感じるかもしれない。元々知りたかったのは「ホットコーヒーがどのくらいの時間で冷めるか」であったはずだ。そこで、今定義したこの"冷めやすさ"を使って、コーヒーがどのくらいの時間で冷めるかを考えてみよう。

"冷めやすさ"が大きいというのは、言い換えれば、時間が経過したときに、それだけ大きく温度が下がるということである。

そこで、まずは大胆に、次のように仮定してみる

10秒後に、コーヒーの温度は"冷めやすさ"の分だけ下がる

この仮定が正しいとすると、例えば80℃のコーヒーを気温30℃の部屋に置いた場合の冷めやすさは50だったので、10秒後にはコーヒーの温度が50下がって、室温と同じ30℃(=80-50)になるということになる。

「いや、そんなわけなくない?」

そう思うのも無理はない。実はこの仮定には大きく2つの問題がある。

1つめは、"冷めやすさ"という量をそのまま"温度の下がり幅"として使ってしまったという点だ。

「冷めやすさが大きい=温度の下がり幅が大きい」と言いたいのであれば、例えば

10秒後に、コーヒーの温度は"冷めやすさ"の0.01倍だけ下がる

としても良い。要は、冷めやすさの大小関係と温度の下がり幅の大小関係を維持したいだけなら、正の実数 \alpha倍しても問題ないというわけだ*2

 \displaystyle a \lt b  \Rightarrow \alpha a \lt \alpha b  

上記の仮定であれば、80℃のコーヒーを気温30℃の部屋に置いた場合の温度の下がり幅は、50×0.01=0.5となって、10秒後に79.5℃となることになり、「まあ、あり得なくはないかな?」程度の変化になる。

しかし、この「0.01倍」という倍数は私が今てきとうに言っただけであり、何の根拠もない。この倍数は今はまだ未知であるので、謙虚に \alpha倍としておこう。

10秒後に、コーヒーの温度は"冷めやすさ"の \alpha倍だけ下がる

さて、もう1つの問題は、この「10秒」という部分である。この数字がどこから湧いてきたものなのかはひとまず置いておいて、ここで問題なのは、この10秒の間におけるコーヒーの温度変化を考慮していないという点である。

例えば、5秒経過した段階でも、コーヒーの温度は少なからず下がっているはずで、そうなると"冷めやすさ"も変化していることになる。つまり、この"冷めやすさ"というのは刻一刻と変化するものであり、10秒という時間幅は荒すぎるのである。

そこで、無限に短い微小時間 \Delta tというものを考えて

微小時間 \Delta t秒後に、コーヒーの温度は"冷めやすさ"の \alpha倍だけ下がる

としてあげる必要がある。

これで随分と良くなったのだが、これでもまだ少し問題がある。それは \alpha倍のところであり、仮に微小時間 \Delta tが0になったとすると

0秒経つと、コーヒーの温度は"冷めやすさ"の \alpha倍だけ下がる

となってしまい、時間が経過していないのにコーヒーが冷めることになってしまう。そこでこれを

微小時間 \Delta t秒経つと、コーヒーの温度は"冷めやすさ"の \alpha \Delta t倍だけ下がる

と修正してやる。これならば、0秒ではコーヒーの温度変化も0であり、また、時間経過が短ければ、その分温度変化も小さくなるという表現にもなっている。

これは数式でも書くことができて

 \displaystyle T\left(t+\Delta t\right) = T\left(t\right)-\alpha\Delta t\left(T\left(t\right)-T_e\right)

となる。ここで T\left(t\right)は時刻 tにおけるコーヒーの温度であり、 T_eは室温である。

いよいよ物理らしくなってきて、アレルギー反応が出てくる人もいるかもしれないが、落ち着いてよく見てもらえれば、先ほどの文章と同じことを言っているに過ぎないと気が付くはずだ。

そして、実は物理をやっていると、これと同じ形の式で表現される現象をたくさん目にすることになる。身近な例で言えば、例えば空気抵抗を受けながら運動する物体の速度の変化は同じ式で書けるし、もう少し専門的なところで言えば、放射性同位体半減期の計算などに使われる式も同じ形をしている。

言うなれば、物理の人からすれば顔なじみの式であり

あーなるほど、じゃあ時刻 tにおけるコーヒーの温度 T\left(t\right)

 \displaystyle T\left(t\right) = T_0 e^{-\alpha t} + T_e

となるわけね

という風に、コーヒーの温度 T\left(t\right)がどんな式で書けるのか、一瞬で分かってしまうのである( T_0はコーヒーの最初の温度から室温を引いたもの)。

そして、よく見る関係であるが故に、この式の性質も良く知っており、 \alphaの具体的な数字が分からなくても、実に多くのことが分かるのである。

例えばこの式は

 \displaystyle T\left(t\right) = (室温とのずれ) + (室温)

と見ることができる。つまり、 \displaystyle T_0 e^{-\alpha t}の部分が室温とのずれになるわけだが、この項は時間が経つとどんどん0に近づいて行く。したがって、コーヒーの温度というのは、時間の経過とともに室温とのずれが小さくなっていき、最終的には室温と同じくらいになるということが分かるのである。

さらに、この室温とのずれ \displaystyle T_0 e^{-\alpha t}は、同じ時間で半分になるという性質を持っている。

この具体例を見てみよう。

私は猫舌なので、ホットコーヒーをある程度冷ましてから飲むようにしている。そして一度測ったことがあるのだが、私が無理なく飲める温度というのは50℃程度であり、自然にこの温度に到達するためには、コーヒーを淹れてから、だいたい20分程度待つ必要があることを経験的に知っている。

仮に、淹れたてのコーヒーの温度を80℃、室温を20℃とすると、室温とのずれは最初60℃あったことになる。これが、私が無理なく飲める温度50℃まで下がったときには、室温とのずれは30℃となるわけで、室温とのずれは20分でちょうど半分になることになる。

先ほど述べたように、この室温とのずれは同じ時間で半分になるという性質を持っているので、さらに20分経過すると、室温とのずれは15℃となる。

ところが、コーヒーの温度が35℃までいくと、猫舌の私ですらぬるく感じてしまうため、ホットコーヒーを楽しむためには、これよりも早く飲み終わる必要がある。では、どのくらいの時間の間に飲み切れば良いのかというと、これは計算すれば分かるのだが、50℃に到達してから、だいたい10分以内に飲み終われば、40℃を下回らずにコーヒーを飲むことができる。

これは私の普段の感覚とも一致していて、妥当な推論であると言えそうだ。

さて、ここまでくれば実験して確かめてみたくなる。

というわけで、料理用の温度計を購入し、コーヒーの代わりに水を使って、その温度変化を調べてみた。

この温度計は、計測した温度を記録して外部に出力するような機能を持っていなかったため、撮影した動画から手入力でデータを記録する羽目になったが*3、それはともかくとして、次のような結果が得られた。

コップに入れた水の温度変化について、実験値と理論値の比較。

Experimentalというのが今回の実験値であり、Theoreticalというのが先ほど示した式 \displaystyle T\left(t\right) = T_0 e^{-\alpha t} + T_e の結果である( \displaystyle \alpha, T_0, T_e はフィッティングで求めた)*4

両者の傾向は概ね一致しているが、曲率が微妙に異なることが分かる。これは、広い温度域では、先述の仮定が成り立たない可能性があることを示唆している一方で、実験環境による影響である可能性も否定できない。例えば、今回の実験においては、室温を計測していなかったため、その揺らぎを調べることができていない。また、コップの周囲に遮蔽物を設置していなかったため、実験中のコップ上部の気流が一定であったとは言えない。これは水表面から気化する水分量に影響を与えたと考えられる。さらに、コップの形状は、コップ内で発生した対流などと合わせて温度変化に影響を及ぼすと考えられるが、そちらについても十分な検討ができなかった。これらの条件を整えて実験することで、理論値とのずれの原因を特定することができると考えられる。これについては今後の課題としたい。

 

………それで、えーと、あ、そうだった

 

危うく目的を見失うところだった

 

物理でやっていることの雰囲気は掴んでもらえただろうか?*5*6*7

 

*1:ちなみにこの次に多いのは「物理は苦手でした...」という告白

*2:賢明な読者であれば、「大小関係を維持するにしても、例えば、温度の下がり幅が"冷めやすさ"の2乗で書ける場合や、あるいはlog(冷めやすさ)などの可能性はないのか?」と思うかもしれない。これは全く鋭い指摘であり、上記では、"冷めやすさ"と"温度の下がり幅"の間に線形の関係があると仮定している。しかし、大小関係を維持するだけなら、"温度の下がり幅"が"冷めやすさ"について単調増加関数となってさえいれば良いので、2乗やlogだけでなく、4乗や指数関数、あるはそれらの組み合わせなど、様々な可能性が考えられる。そうなると、線形で仮定するというのはあまりにもいい加減な仮定に思えるかもしれないが、ここで1つ重要なことを言っておくと、大体の曲線には、拡大すれば平らに見えるという性質がある。例えば、地球は球体であるが、我々が普段使う地図は平らでも問題はない。これは、我々の生活圏というのは地球に比べて非常に狭いため、その範囲であれば地球表面を平面だと近似しても問題ないということである。同じように、先ほど例に挙げた単調増加関数たちも、ある短い区間を拡大してみれば、ほとんど平らにみなせるはずであり、したがって、"冷めやすさ"と"温度の下がり幅"の間に、実は複雑な関係があったとしても、ごく短い範囲においては、線形の仮定をしても問題ないだろうということである。

*3:OCRも試してみましたが、全然ダメでした

*4: \displaystyle T_0, T_e は、計測値を使うべきだったが、室温を計測することができなかったため計測値がなかった

*5:ちなみに今回コーヒーの温度を調べるために出てきた式は「ニュートンの冷却の法則」と呼ばれるもので、物理専攻の大学生であれば1年生の物理数学か何かで、微分方程式の練習として学ぶものである。

*6:現象を単純化して力学で説明しようとすると、だいたいニュートンがやったモデルに行き着く気がする。ニュートンはすごい。

*7:私自身、今回初めて実験してみて、ここまで一致するとは思っていなかった。非常に単純で尤もらしい仮定から、自然現象が説明できるのが、物理の醍醐味と言える。